金沢市中央倫理法人会


by rinri_center

2009.7.2日第192回(第4条)経営者モーニングセミナー

 次回第193回(第5条)経営者モーニングセミナーの御案内
 7月9日(木) 講話者は 金沢市立美術工芸大学 准教授
                荷方 邦夫 様
          テーマは「ミスとロスをなくすコツとは」
                 

今朝も4時半起床。
会長あいさつでは、飯山治郎会長が、過去の自分の積み重ねが今の自分であると。
不況だから売り上げが落ちるのではない。
それは不況のせいではなく、自分の努力のせいだと思って努力する事が大切です。
ある会社での出来事です。あいさつ運動をはじめましたが、なかなか浸透しない。
悩んだ担当者がふと気づきました、なぜあいさつをしなければいけないのか?
同じ疑問を他の社員も持っているのではないかと。
そこに気がつき、みんなを集めてなぜしなければならないかを、考え答えをだしました。
それ以降はあいさつ運動は普及したそうです。
まず自分で答えを探す事、これがいちばん最初の気づきです。
まず自分が変わらないと、変わらない。すべてが、そこにあります。

本日の講話は、(株)オートモ代表 大友 哲様。
オートモと申します。制服の製造販売業を営んでおります。
当社は学校制服のイメージが強いのですが、今では売上の7割が学校制服関連で、
3割が企業向けユニフォームや白衣となっております。
創業は1892年で、衣料品の製造直売の形で始まりました。
その後、私の父の代になりまして、昭和30年代に学生服の専門店化をしました。
当時の学生服は、川上からの価格の統制が効いていまして、
安く売れば商品の供給を止められるような時代でした。にもかかわらず安く販売していましたら、
様々な圧力がかかりましたが、ちょうどこの様な制度が崩れかかった時でしたので、
うまく切り抜けることができました。
私の両親の話で、もう少し早く始めていたら紡績やメーカーによって潰されていただろうし、
もう少し遅く始めていたら同業者によって潰されていただろうと言っていたのが思い出されます。
昭和40年代に入りましたら、調子も上がってきまして、昭和45年に竪町店を出し、
昭和49年には現在の竪町本社ビルを建てました。
私は大学を卒業後、百貨店に婦人服を納めるアパレルに勤めておりましたが、
昭和55年に富山店を出すから戻って来いと父から言われて、オートモに入社しました。
富山にも同業者はおりましたが、同品質の学生服が金沢より2割方高く売られていました。
それで父も勝てると読んで店を出したのですが、何年たっても、色々なサービスを加えても、
数字が伸びません。何故なのかその時は理由がわからなくて、
学生服とはなんと特殊な商品なのだろうと思いました。
昭和60年に富山店を閉めて、金沢で学生服の販売に従事して初めてその理由がわかりました。
金沢ではオートモという店が頭から信用されていると感じました。学生服とは、
その店の信用で売る商品だということです。
そして信用とは、常に他社よりも優良な服を、それは素人目にもまた詳しい人にもすぐ判る様な
長所を持った服を作り続けることにより、それを買った人により、口伝えで広まって作られていくもの
と考えています。
昭和60年に父が脳溢血で倒れ、その後はしばらく取締役の合議による会社運用をしておりましたが、
平成7年には私が代表取締役副社長となり、平成9年には代表取締役社長となりました。
その前後には、少子化問題や平成10年の金融危機など多くの問題とぶつかりましたが、
それらを乗り越えて現在があるのも真面目に優良な制服を社会に提供し続けてきたことが
地域の人達の評価につながったのではと考えております。

本日の参加者は71名 68社 でした。
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by rinri_center | 2009-07-05 08:37