金沢市中央倫理法人会


by rinri_center

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本日の講話者は
 講話者:金沢大学大学院医学系研究科 再生脳外科学 医学博士 山嶋 哲盛 様
 テーマ:「加賀藩が産んだ偉人: 高峰譲吉〜今、何を学ぶか?〜」

 会長あいさつでは、飯山会長が、5月の特別モーニングセミナーの皆様に感謝を。
目標の数字には足りなかったが、前回を上回る参加社数には満足しています。
幹事のみなさんが、ほんとうに熱心にやっていただけた。こういうふうに目標を決めてがんばる事が大切なんです。物理はモノとモノとのつながりですが、倫理は人と人とのつながりです。
この参加者が人と人とのつながりになるように期待しています。

本日の講話者 山嶋 哲盛 。

みなさん、おはようございます。
金沢と富山で約3万人の観客があった映画「さくら さくら」見ていただけましたでしょうか?
この作品は金沢の産んだ偉人高峰譲吉の半生を描いた作品です。
前日2作目の製作が決まりました。今度は高峰譲吉役を石坂浩二さんがやることになりました。
石坂さんも大変乗り気で出演料の3000万円を半額でいいと言っていただけたそうです。

みなさんは、高峰譲吉の作った「アドレナリン」という薬品を知っているでしょうか?
知らなくてもたぶん、お世話にはなっているはずです。
実はこの薬品は歯医者さんの使う麻酔にも3%ほど含まれています。
アドレナリンは発見されてからすでに約一世紀がたちますが、ここ100年で最大の売り上げをあげた薬のひとつです。
高峰譲吉の父は加賀藩のご典医でした。
火薬の材料となる煙硝作りのプロで、幕末の加賀藩で非常に活躍された方です。
母は高岡の造り酒屋の娘で、のちにこのことが高峰譲吉の研究に大きな役割を果たす事になります。
高峰家は金沢で3回引っ越しをしています。
最初は新竪町、それから武蔵、最後に大手町の梅元町に引っ越しをしました。
高峰譲吉は12才のとき、長崎に留学、七尾から船に乗って行くのですが、玄界灘で遭難。通りかかった紀州の船に助けられます。その後大阪の適塾に入学。エリートとして化学の道に進む事になります。
当時、高峰譲吉が学んだのは英語。幕末の日本は攘夷の嵐が吹き荒れ英語を学んでいるだけで殺されるといった状況でした。
20才の時、目からウロコが落ちるような英国留学。欧米の技術と日本の伝統、それに独創性をあわせることを学びます。
高峰譲吉はこう言っています。「模倣的である事は、独創的である事の先駆に他ならない」
まず現在の技術を徹底して模倣する。そこから新しい技術を生み出すことは、なんら恥ずかしい事ではない。ということなのです。
1885年、ニューオリンズで開かれた万博に参加します。そこで下宿した家の娘が、妻キャロラインです。
そしてアメリカでよく飲まれていたウイスキーの醸造を始めます。
これは日本の造り酒屋の種麹をを精製し、元麹にして使用する画期的な酒造法でした。
しかし地元の業界の猛反発にあい、工場に放火されて全財産を失います。
高峰譲吉は失意のどん底に落ち込みますが、麹の消化力に注目し、そこからジアスターゼを発見するのです。
これは世界中で大ヒットしました。なにしろろくな胃薬のなかった時代です。
日本の麹菌を世界に広めたという意味でも、画期的な発見でした。
一躍高峰譲吉は、莫大なパテント料を手に入れる事となり大富豪になります。
その後、26才で上中敬三と研究を進め、アドレナリンを発見するのです。
50才になった高峰譲吉は、今度は財産を日米親善に使います。
高峰譲吉の足跡をお話しするのには時間が足りませんが、百難に遭遇しつつも逆境を成功のバネにした金沢出身の高峰譲吉、明治男の生きざまを、みなさんぜひ映画「さくらさくら」でごらんください。

本日の参加者は66名 社数は61社でした。

次回 第237回(第14条)経営者モーニングセミナーの御案内
 日 時;6月10日(木) 午前6時~午前7時
 場 所:兼六城下町 ホテル兼六 2F
 講話者:松本 輝明 様 
     (株)マツモト代表 
 テーマ:「会社継承と標準化」 

セミナー入場無料! 

   セミナー終了後、参加者交流の場として朝食を御用意しております。
   朝食700円(バイキング形式) ドリンクのみ300円
   お誘いの上、たくさんの参加お待ちしております。

   講話記録  桜井和幸
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by rinri_center | 2010-06-06 11:03