2008.1.17日第122回経営者モーニングセミナー
2008年 01月 18日
今朝外に出てびっくり、不意打ちの銀世界。 早々車の雪を払って会場へ。
会員さんたちは雪にもめげず、元気にセミナー開始。
会長あいさつ 「初めて成人式の講演をしてきました。昔は公民館で行われていたが、
最近はホテルで行われ、しかも親御さんの臨席もあるんですね。」 と時代の変化を披露。
「しかし、時代は変わっても、与えられた環境を大事にし、志を持って生きることが大切。」
本日の講話者は 金沢市会議員であり、トレンドエス㈱代表
国際空手道連盟極真会館 浜井派顧問の 川 裕一郎 様です
前触れは 『闘う政治家』 だったので、いきなり 『元気ですかー』 と叫ぶ姿を想像して
いましたが、あにはからんや 『にっこり握手を求められると、つい一票投じたくなる』
温和なお方です。
本日のテーマは 『空手と政治』
まずは生い立ち。 小学校3年の時に自ら給食係りに立候補されたそうなのですが、
『自分で配る立場だから、嫌いな物は自分の所へ来ない』との魂胆がバレバレで、
即クビになった、まるで カツオ君 の様な少年です。
しかし、翌年の山村留学における、畑仕事やキャンプなどの体験により好き嫌いが直り、
その自信が、中高時代の活動的なスポーツ(スキー、サッカー)に繋がったそうです。
地元のコンピューター専門学校を出られ、地元の通信会社に入社。
当時珍しい携帯電話の修理をなさってましたが、活動的故に営業に立候補。
さらに携帯電話販売会社に関わり、 27歳で150名の社員のリーダーになりました。
当時はバブルの絶頂期で、上司の退社問題を通し 『お金は人を変える』 と言うことを痛感。
バブルがはじけ、50店舗あったものを30店舗に減らす事になり、リストラ係りを担当させられ
仲間を切る、大変辛い仕事であった。そのためストレスを生じ、 30歳で退社。
2ヶ月の ”無の境地” の後、福祉の会社 トレンドエス を立ち上げる。
政界の入り口は、現役市会議員のお父様の死であった。(H14.8)
2ヶ月の ”無の境地” の後、お父様の後を継ぐ決意を持たれました。
その時、反対されると思った奥様が 快諾 され、御家族の協力を得る事が出来ました。
しかし、次回選挙まで間が有り過ぎ、潰される可能性があると、粛々と過ごされます。
空手との出会いは息子さんの入会でした。小学2年で 「勝てない、痛い」と息子さんの
ストレス状態を鑑み、父親として応援するつもりで御自身も入会。 が、 本気モードに
なってしまったそうで、肋骨の骨折をおして大会へ出場されるほどに。
遅くの入会故に、大会出場メンバーの中でも 『高い年齢、低い技術。浅い経験に深い怪我』
と言うことで、試合には負けましたが、 息子さんに ”闘う親の姿”を見せることが出来、
互いに励ましあうことが出来たそうです。 この様に、空手(武道)は 『力と感謝』 を
御本人と息子さんに与えてくれた様です。
この良き武道魂を活かし、選挙活動に入ることになるのです。
選挙半年前からの本格的活動でしたが、組織が乏しく、立候補者兼選対本部長として
孤軍奮闘。 骨折した腕で握手をして回り、人事を尽されました。
まさに空手道精神ですね。
投票締め切り時間を過ぎ、天命を待つ段になって初めて 『不安』 になったそうです。
その時も、奥様からの強い励ましのお言葉が・・・・ そしてトップ当選!
現在空手で教わった 闘魂と弱者をいたわる気持ちを大切にし、福祉中心にがんばって
おられます。 昨年も、中国大連への空手の普及大使としての重責を担い、金沢市長の
親書を託される活躍ぶりです。
御自身のキーワードは 『挑戦』と言うことで、今後も益々の活躍が期待されるお一人です。
本日の参加者は 66名 58社
最後に関西大震災の被災者に対し黙祷を捧げました。
会員さんたちは雪にもめげず、元気にセミナー開始。
会長あいさつ 「初めて成人式の講演をしてきました。昔は公民館で行われていたが、
最近はホテルで行われ、しかも親御さんの臨席もあるんですね。」 と時代の変化を披露。
「しかし、時代は変わっても、与えられた環境を大事にし、志を持って生きることが大切。」
本日の講話者は 金沢市会議員であり、トレンドエス㈱代表
国際空手道連盟極真会館 浜井派顧問の 川 裕一郎 様です
前触れは 『闘う政治家』 だったので、いきなり 『元気ですかー』 と叫ぶ姿を想像して
いましたが、あにはからんや 『にっこり握手を求められると、つい一票投じたくなる』
温和なお方です。
本日のテーマは 『空手と政治』
まずは生い立ち。 小学校3年の時に自ら給食係りに立候補されたそうなのですが、
『自分で配る立場だから、嫌いな物は自分の所へ来ない』との魂胆がバレバレで、
即クビになった、まるで カツオ君 の様な少年です。
しかし、翌年の山村留学における、畑仕事やキャンプなどの体験により好き嫌いが直り、
その自信が、中高時代の活動的なスポーツ(スキー、サッカー)に繋がったそうです。
地元のコンピューター専門学校を出られ、地元の通信会社に入社。
当時珍しい携帯電話の修理をなさってましたが、活動的故に営業に立候補。
さらに携帯電話販売会社に関わり、 27歳で150名の社員のリーダーになりました。
当時はバブルの絶頂期で、上司の退社問題を通し 『お金は人を変える』 と言うことを痛感。
バブルがはじけ、50店舗あったものを30店舗に減らす事になり、リストラ係りを担当させられ
仲間を切る、大変辛い仕事であった。そのためストレスを生じ、 30歳で退社。
2ヶ月の ”無の境地” の後、福祉の会社 トレンドエス を立ち上げる。
政界の入り口は、現役市会議員のお父様の死であった。(H14.8)
2ヶ月の ”無の境地” の後、お父様の後を継ぐ決意を持たれました。
その時、反対されると思った奥様が 快諾 され、御家族の協力を得る事が出来ました。
しかし、次回選挙まで間が有り過ぎ、潰される可能性があると、粛々と過ごされます。
空手との出会いは息子さんの入会でした。小学2年で 「勝てない、痛い」と息子さんの
ストレス状態を鑑み、父親として応援するつもりで御自身も入会。 が、 本気モードに
なってしまったそうで、肋骨の骨折をおして大会へ出場されるほどに。
遅くの入会故に、大会出場メンバーの中でも 『高い年齢、低い技術。浅い経験に深い怪我』
と言うことで、試合には負けましたが、 息子さんに ”闘う親の姿”を見せることが出来、
互いに励ましあうことが出来たそうです。 この様に、空手(武道)は 『力と感謝』 を
御本人と息子さんに与えてくれた様です。
この良き武道魂を活かし、選挙活動に入ることになるのです。
選挙半年前からの本格的活動でしたが、組織が乏しく、立候補者兼選対本部長として
孤軍奮闘。 骨折した腕で握手をして回り、人事を尽されました。
まさに空手道精神ですね。
投票締め切り時間を過ぎ、天命を待つ段になって初めて 『不安』 になったそうです。
その時も、奥様からの強い励ましのお言葉が・・・・ そしてトップ当選!
現在空手で教わった 闘魂と弱者をいたわる気持ちを大切にし、福祉中心にがんばって
おられます。 昨年も、中国大連への空手の普及大使としての重責を担い、金沢市長の
親書を託される活躍ぶりです。
御自身のキーワードは 『挑戦』と言うことで、今後も益々の活躍が期待されるお一人です。
本日の参加者は 66名 58社
最後に関西大震災の被災者に対し黙祷を捧げました。
by rinri_center
| 2008-01-18 12:20